
一流大学に入るために、小学生の頃から毎日のように塾に行って勉強して、進学校に入り、念願の一流大学に入れたとします。
そして、一流企業に入って出世して、給料もすごくもらったとします。
しかし、そんな人生においても、順風満帆な人生などあり得なくて、人は生きて行く上で様々な困難が待ち受けているのです。
一握りの成功を掴むために努力している?
どんな人生であろうとも、順風満帆な人生など何の意味も無いのです。
人は幸せになるために生まれてくると思われる方が多いかもしれませんが、人は幸せになるためにこの世に生まれてくるわけではありません。
なぜなら、幸せになりたいのならこの世に生まれないほうが幸せなのです。
私達はこの世に生まれる前は、誰もが天国という世界で幸せに暮らしていました。
つまり、幸せになりたいのなら天国にいたほうが絶対に幸せなのです。
天国での生活が幸せなのですから、わざわざこの世に生まれて幸せになりたいだなんて、リスクの高い生き方を選ぶ人など一人もいないのです。
じゃあ、この世に生まれる人は何のために生まれてくるのかと言いますと、それは学ぶためなのです。
それを「魂の修行」とも言うのですが、私達がこの世界に生まれてくる理由とは、幸せになるためではなく、学ぶためなのです。
学んでどうしたいのか?
では、なぜ私達は幸せな天国の生活を捨ててまで、わざわざ学ぶためこの世に生まれてくるのでしょうか?
それは、この世での人間としての経験が、霊界と言う世界にとってもとても大切なものだからです。
霊界では頑張らなくても死ぬことはないのですが、この世では頑張らないと死んでしまうのです。
呼吸を止めたら死んでしまいますし、ご飯を食べるのをやめたら死んでしまいます。
この世では、生きると言うことがサバイバルであり、呼吸とか食事とか確実に生命活動をしていないと死んでしまうのです。
つまり、これは生きていること自体が既に素晴らしい魂の修行になっているのです。
これは霊界では考えられないくらいすごい緊張感を伴いますので、こうした過酷な環境が魂の成長を促すのです。
私達が日々生きているのは、魂を成長させるため修行しているのですから、そんなに頑張らなくても既に頑張っているのです。
世界の歴史に名前を残すような人達は、実は生まれてくる前の世界が普通の人達とは違うのです。
ですから、普通の人が世界の歴史に名を残したいと言っても、努力だけではほぼ無理なのです。
今、世の中で有名になっている人達は、普通の人が生まれる前にいた天国よりも、もっと高い世界(神界)にいた人達なのです。
何にでもなれるわけじゃない!
「人は何にでもなれる、創造できると言うことは、その夢は実現する可能性がある。」と言った話がありますが、それは違うと思います。
いくら創造できても、なれないものはあります。
例えば、「私はお釈迦様のように、2500年後の世界にも影響を与えるような人間になりたい」と思っても、どんなに努力をしてもなれないのです。
なぜなら、お釈迦様はこの世に生まれた時、地球霊界の最高神の魂が降臨しているのです。
イエス・キリストにおいても同じです。
2500年も世界に影響を与えるレベルの人間というのは、そういうレベルの人達なのです。
これは努力とか才能とか、そう言うレベルではありません。
人間からこの最高神レベルまで魂の格を上げるためには、数千億年かかると思います。
弥勒菩薩が56億7千万年後に如来として生まれ変わると言う伝説がありますが、それすら一瞬に感じてしまうほど膨大な時間がかかるのです。
歴史に名を残すような人達とは、そういうレベルの魂の持ち主であり、それは今世だけでいくら努力をしても到底到達できるものではないのです。
ですから、努力はほどほどでいいのです。
平凡な人は、平凡な人生の中で「今世はしっかりと魂の修行ができた」と思って天国に帰れる人生こそが成功なのです。
あまり高くを望み過ぎると苦しくなるだけです。
見のほどを知ると言うことも大切な学びなのです。
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