実は最近感じていることがあるのです。
残念ながら、私は誰も救うことはできないということです。
例えば、目の前に結婚ができなくて困っている人がいたとします。
その人を私がどうにかして結婚させてあげたら、問題は解決するのでしょうか?
その人が結婚できなくて困っているのは、理論的には自分が撒いた種が原因なのです。
我が強すぎて妥協しないとか、理想がやたら高いとか、相手にやたらと求めたがるとか、いろいろあると思います。
その人の撒いた問題を私が刈り取ってしまったら、その人はまた同じ種を撒くでしょう。
次はその場に私はいないかもしれません。
そうなると結局は自分で撒いた種を刈り取らなければならなくなります。

せっかく神様がその人に与えた課題を私が横取りしていいのでしょうか?
つまり、その人の問題とは、他の誰かが解決してしまってはいけないということです。
逆に、どんな問題でも、それを問題だと認めるかどうかはその人次第だということです。
このカラクリが理解できると、最強のメンタルを手に入れることができます。
今日は、メンタルを強く鍛える方法について解説していきます!
人助けは人のためにはならない!
これは会社からの帰りの電車での出来事です。
終電近くの電車には酔っ払った人が多くいます。
私は座席に座っていましたが、私の前に酔ってフラフラの若い青年が立っていました。
しばらくするとその青年はカックンカックンしだしました。
顔を見ると完全に寝ています。

次第にカックンが激しさを増してきて周囲の人はちょっと離れました。
本人もカックンがやばいと思ったらしく、何とつり革から手を離しました。
これで寝ないとでも思ったのでしょうか?
そんなはずはありません。
あっという間にガックンいって倒れそうになっています。
このままだと怪我でもするのではないかと思い、席を譲ろうと思った瞬間に閃きがおきました。
もしこの青年に席を譲ったら、かなりの確率で終点まで寝過ごしてしまうだろうと思いました。
そうなると、もう上りの電車はないでしょうから、近くにホテルがあればいいが、なければタクシーで何万円もかけて家に帰るか、ベンチで寝るかです。
私の親切があだとなるかもしれないと考えました。
やはり席を譲るのはやめました。
カックンしていれば寝過ごすことはないだろうと思いました。
人助けとは何でしょうか?
短絡的に問題を解決すればいいのでしょうか?
それで本人のためになるのでしょうか?
これは非常に難しい問題となってきました。
神様がその人に与えた課題を、横から他人が解決しても意味がありません。

そうなると、困っている人に手を貸すことは罪となるのでしょうか?
これは何の話ですかって、まず、問題が起こっているのは、その人自身が問題を作り出しているということを認識してほしいというお話です。
ここでは、座席に座っている私の問題ではなく、フラフラになるまで飲んだくれたこの青年の自己管理能力が問題となっているのです。
人の幸せを願うことしかできない!
こんな話があります。
その昔、あるヒマラヤの山脈で地震がきて大きな岩が落ちてきました。
その岩に直撃しそうな村人を、そこに通りかかった青年が救い出しました。
しかし青年は腕に重症を負ってしまいました。
腕からは大量に出血しています。
さらにそこに一人の聖者があらわれ、青年の傷を治しました。
青年は聖者の奇跡のパワーを目の当たりにして、この聖者が只者ではないことを瞬時に悟りました。

そして青年は聖者に尋ねました。
「あなたは地震が来ることも岩が村人を直撃するのも分かっていたのではないか?」と。
聖者には全て分かっていました。
それならば岩が直撃する村人を事前に救えばなにも青年が怪我をすることが無かったと思うのですが・・・。
しかし聖者は言いました。
岩が直撃して死ぬのはその村人が撒いた種を刈り取るためだと。
今回は命拾いをしたが、いつか同じような状況に遭遇して命を落とすことになる。
というお話です。
ですから、私が出来ることといえば、誰かを救うことではないのです。
誰かを気付かせること、覚醒させるきっかけをつくることだけなのです。
答を導けるようにヒントを与えることだけなのです。

答えは自分で探さなければならないのです。
人が生まれて来るのは、この世で課題を克服したいからですよね。
何の問題も無く平穏な人生を望むなら、その人は間違いなくこの世に生まれてきません。
この世に生まれた人は、課題を克服したくて生まれてきたのです。
その人にあった課題があり、それは他の人が代わってあげることに意味は無いのです。
手を差し延べるのではなく、気付かせ、幸福を祈ること、それが唯一私にできることだと思います。
すべては自分の責任でしかない!
自分の人生は、誰にもどうすることもできません。
自分の人生は、自分で作りあげて行かなければならないのです。
周りの人達は意見やアドバイスくらいは言うことができますが、それをどう判断してどう行動するのかは自分自身の問題なのです。
人に酷いことを言われて傷ついたって話がありますが、誰も自分を傷つけることはできないのです。
自分自身が自分を傷つけているだけなのです。

誰かが「あなたはもう年なんだから結婚なんてできるわけがない」っ言ったとします。
こう言われて傷つくのは、あなたもそう思っているからなのです。
仮にあなたがまだ16歳だったとして、誰かに「あなたはもう年なんだから結婚なんてできるわけがない」と言われても、全く傷つかないと思います。
なぜなら、あなたは自分のことを年だと思っていないからです。
ですから、自分に傷をつけるのは他人ではなく自分自身であり、それは考え方をコントロールすることでいかようにもなるということです。
ここで、いくら私があなたは決して年なんかじゃありませんよって言ったところで、あなたが自分のことを年だと思っていれば、傷ついてしまうのです。

ですから、あなたの人生は完全にあなたの責任であり、あなた以外の誰かがどうすることもできないのです。
あなたの起こる全ての出来事は、あなた自身の問題です。
ですから、全てに感謝することが、あなたの全てを肯定することになるのです。
最強のメンタルはあなた次第で手に入れられる!
全ては自分が決めているということです。
これは、最高の朗報ではないでしょうか?
なぜなら、あなたを傷つける人はこの世で一人しかいないということだからです。
あなたのことを傷つけることができるのは、あなた自身しかいないのです。
他のどんな人があなたのことを誹謗中傷したとしても、あなたがそれを受け入れなければあなたは傷つくことはないのです。
私は昔から痩せていました。
よく「ガリ」とか言われていました。
「ガリ」とは「ガリガリ」のガリです。
そんな私に、世界中の人たちが私に向かって「デブ!」と言ったとしても、私が傷つくことは100%ありません。

なぜなら、私は自分のことを微塵もデブとは思っていないからです。
つまり、傷ついてしまうのは、自分が認めてしまうからなのです。
自分が認めなければ、たとえ70億人の人に攻撃されても傷つくことはないのです。
最後に、最強の言葉をプレゼントしたいと思います。
誰かがあなたに誹謗中傷してきたとします。
「デブ!」「ハゲ!」「バカ!」「アホ!」など、低レベルな言葉を発してきたとします。
そのとき、この言葉を思い出してください。
これは、イエス・キリストの最強の言葉です。
「デブ!」「ハゲ!」「バカ!」「アホ!」と言われたら
「それはあなたが言ったことです。」

もう一度言います。
「それはあなたが言ったことです。」
この言葉の意味がすごいです。
「デブ!」「ハゲ!」「バカ!」「アホ!」と言ったのは
その人の心が言ったことであり、その人がとても低レベルな人間であるということを自分でアピールしていますよということなのです。
もし、誰かに
「デブ!」「ハゲ!」「バカ!」「アホ!」と言われたら
何かを言い返すのではなく、こう言えばいいのです。
「それはあなたが言ったことです。」
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