過去の過ちの罪を償う方法!お釈迦様が殺人犯を救済した理由とは?

犯罪に手を染めたり過ちを犯すことは誰も望んでいないかもしれませんが、時に、何かの間違いなどで犯罪に手を染めてしまたったり過ちを犯すことがあるかもしれません。

そんな時、どうしたらその罪を償うことができるのでしょうか?

ここでは、そんなお話をご紹介したいと思います。

人は過ちを犯しやすい!

 

この世では、何が正しいのか分からないことが多いため、人は過ちを犯すことも多々あります。

誰もが正しく生きたいと願っていると思いますが、色々な事情があって、時には犯罪に手を染めてしまうこともあるでしょう(もちろん許されることではありませんが)。

また、心の弱さから、嘘をついたり人を騙したり、自分勝手なことをしてしまうこともあるでしょう。

生まれてから死ぬまで、一つも過ちを犯さない人なんてこの世には一人もいないと思います。

人間は生きて行く上で、必ず何かしらの過ちを犯すものですし、それは神様も承知しています。

しかし、過ちを犯した後、どのように生きるのかがとても大切なのです。

もちろん、身勝手に犯罪ばかり犯している人は、神様も許してはくれませんので、地獄に落ちてしっかりと反省させられると思いますが、知らなかったとか、仕方なかったとか、そういった過ちもあると思いますので、そうした過ちを犯してしまったらどうすればいいのか、それがとても大切なことなのです。

 

殺人を犯した人が改心した結果!

 

ゴータマ・シッタールタ(釈尊)が法を説いていた今から2500年前の話ですが、ある残忍な男がいて、その男は人を殺したこともありました。

しかし、その男はその後改心して、世のため人のためにその人生の全てを捧げました。

その結果、その男は誰からも尊敬され、ゴータマ・シッタールタ(釈尊)の弟子としては、最も大きなお墓に祀ってもらったと言う話があります。

理想としては、誰もが過ちを犯さないことが一番いいのですが、現実的にはいろいろな事情があるので、時には過ちを犯してしまうこともあると思います。

ですが、神様はそんな人に対して、いつもチャンスを与えてくれるのです。

過ちを犯した後、なんの反省もしないで好き勝手生きていれば、それは死んでから地獄に落ちてしっかりと反省させられることになると思いますが、この世でしっかりと反省して、世のため人のために命を捧げれば、罪と徳の相殺によってその過ちは許されることもあるのです。

私は、過ちは反省すれば許されるんだから積極的に罪を犯しましょうと言っているのではありません。

なるべく、出来る限り過ちは犯さないことが大前提として、万が一、やむを得ず過ちを犯してしまっても、その後の反省具合と改心の行動によっては、過ちは許されることがありますよと言っているのです。

 

反省は今からでも遅くない!

 

もし、自分の心に手を当ててみて、思い当たる過ちがあるのなら、今からしっかりと反省をして、改心をしてください。

そして、これからの日々を、世のため人のために使ってください。

自分の損得勘定ではなく、いかに人を幸せにするか、いかに世の中を良くするか、そのことだけに専念してください。

それが菩薩の心境なのです。

そして、菩薩の心境になって心の波動が菩薩の波動になってくれば、過ちは徳によって相殺されていくことでしょう。

生きている限り、改心するチャンスはあります。

そして、改心して日々を人のために生きれば、過ちは相殺することができるのです。

この世にはパーフェクトな人間など存在しません。

多かれ少なかれ、人は何かしらの過ちを犯してしまっていると思います。

ですが、だからこそ、これからの日々を世のため人のために使ってほしいのです。

において、遅すぎると言うことはないのです。

1 個のコメント

  • ありがとうございます。私は口がさけても言えない位の事をして。走って逃げました。勿論改心しています。その迷惑をかけた会社に10年以内に500万以上払います。

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