富岡八幡宮事件の悲劇!なぜ神様は事件を未然に防いでくれないのか?

2017年5月に訪れた富岡八幡宮

昨年の12月、富岡八幡宮の宮司が弟に殺害され、弟とその交際相手の方は無理心中を図ると言う惨劇が起こってしまいました。

そもそも神様に仕える仕事をしている宮司やその関係者が、なぜこのような事件に巻き込まれてしまうのか、なぜ神様は未然に防いでくれなかったのか、そんな疑問がある方もいると思いますので、その理由を私の個人的な考えで書かせていただきます。

神様は愛情が深い故人間に干渉をしない

 

私は昔から思っていた疑問があります。

それは自殺をしてしまう人に対して、なぜ神様は自殺をしてしまう人を助けてくれないのだろうか?という疑問です。

もし自分の目の前で、駅のホームから電車に飛び込もうとしている人がいたら、「やめろ!」って自殺を止めると思います。

でも、そこにいるのが神様だったら、例え電車に飛び込む人が目の前にいても、神様はその人を止めたりはしません。

なぜなら、神様は誰よりもその人の成長を望んでいるからです。

神様は人間よりも遥かにレベルの高い存在ですので、自我というものが全くありません。

人間には自我がありますので、自殺する人に対して自殺して欲しくないという考えは、その人の自我なのです。

実は、神様は私達人間以上に人間のことを愛していますので、自殺をする人がいると親兄弟よりも悲しいのです。

本当に悲しくて悲しくて、できることなら、助けてあげたいと私達人間以上に思っています。

ですが、それをやってしまうことは自我になるのです。

神様が悲しくなりたくないから、自殺する人を止めましたとなると、それは神様が悲しみたくないからその人の意志に介入したことになり、魂の成長を望む神様としてはやってはいけないことなのです。

たとえその人が自殺をしてしまい、真っ暗な地獄に落ちて、そこで長い間反省し、再び地上に戻って人間を経験することも魂の成長になると知っているから、あえて自殺を選択する人の行動を止めたりはしないのです。

ですが、神様だって本当につらいし悲しいのです。

人間は、自分が悲しくなりたくないから、辛い気持ちになりたくないから、自分の都合で自殺をしようとする人を止めてしまいますが、神様はそうではないのです。

これが神様の究極の愛情なのです。

 

富岡八幡宮の事件も本当は止めたかった!

 

今回の富岡八幡宮の事件も同様で、神様は本当につらくてつらくてたまらないのですが、この事件は宮司という立場を巡る人間界のトラブルであるため、神様はそのことに対して干渉することはできなかったのです。

例え最悪の結果になったとしても、それも人間の魂の成長に必要な経験であると考えているからこそ、神様は敢えて手助けをすることはなかったのだと私は思います。

そもそも、神様は宮司だから手助けしますとなってしまうと、神職に就いていない人達に対する扱いとの公平性が失われますので、それはそれで問題となるでしょう。

今回の事件で、「神様なんていない」と考えるのは間違いで、神様は絶対的な愛情で人間を愛していて、どのような選択であれ人間の選択を絶対的に尊重していると考えるのが正解だと思います。

神様は、人間が想像もできないような愛情で、私達のことを想ってくださっているのです。

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