「もう死んでしまいたい」と思う人に対して、いくら私が「死なないでください!」って叫んでも、残念ながらその人には届かないと思います。
本当に死の淵をさまよっているような人にとって、私みたいに「ハッピー」だの「ラッキー」だの謳っている人間は、うっとうしい存在でしかないと思います。
では、死の淵をさまよっている人は、どんな人なら救えるのかって話なのです。
ここでは「死にたい」と思っている人にあるすごい才能のお話をさせていただきます。
生きている価値がないから死にたいと思ったとしても・・・
「死にたい」と思っている人にある凄い才能とは、実際に死の淵を彷徨ったことがある人の才能です。
実際に死の淵を彷徨って、なんとか思いとどまって人生を復活した人は、なぜ死にたいと思ってしまったのか、自分のことだからよく分かっているのです。
ですから、死にたいと思う人の気持ちが分かるので、そんな人にどんな言葉をかけてあげたらいいかが分かるのです。
それが分からない人は(本気で死んでしまいたいと思ったことがない人)、悪気はないのですが「がんばって!」とか、余計に追い込んでしまうようなことを言ってしまうのです。
それが逆効果であるということも分からないほど、死にたい人の気持ちがよく分からないのです。
もし、過去に死にたいと思っていたけど、今なんとか頑張れるようになった人は、今まさに死の淵を彷徨っている人たちを救うことができる唯一の存在なのです。
死にたいと思う人には大きな使命がある
心の闇がどれほど残酷で根深いものなのか、死の淵を彷徨った人じゃないと分からないと思うのです。
また、例え私が死にたい人の気持ちを本当に理解したとしても、私が死の淵を彷徨わない限り、死にたいと思う人は私を受け入れてはくれないと思います。
なぜなら、本当に死の淵まで追い込まれた人以外に、死にたいほどの気持ちを理解してほしくないからです。
死にたいと思う人は、この世に自分が生きている価値がないと思っています。
ですが、そんなことは全然なくて、むしろ死にたいと思う人こそ、他の死にたいと思う人を救うことができる唯一の存在なのです。
世の中には死にたいと思っている人が残念ながら沢山いるのです。
そんな人たちを救えるのは、自分も死にたいと考えたことがある人だけなのではないかと思います。
「私は生きている価値がない」
「私は世界で独りぼっち」
悲しみのどん底に突き落とされると、そんなことばかり考えてしまうのですが、そんなことは絶対にないのです。
世の中には、必ずどこかにそんな人を必要としている人がいるのです。
人は、太陽なのです。
周りの人がどんなに暗くても、自分だけはさんさんと輝く太陽であるべきなのです。
人は、ほとんどの場合、名前を呼ばれるときに、「○○さん」と呼ばれますよね。
○○さんの“さん”って、SUNなのです。
SUNって太陽のことですよね。
○○さんとは、○○太陽ということです。
あなたが井上さんだったら、井上太陽なのです。
死の淵を彷徨ったことがある人は、今死の淵を彷徨っている人を救うことができるのです。
それは言い方を変えると、死の淵を彷徨ったのは、死の淵を彷徨っている人を救うために経験が必要だったからとも言えるのです。
死にたいと思う人はいつしか誰かの命の恩人になる
「死にたい」で検索すると、とても多くのサイトがヒットしてしまいます。
世の中には、死にたいと思っている人が沢山います。
死んでも楽になれないのですから、生きて楽になろうって教えてあげなければいけないのです。
それができるのは、死の淵を彷徨った人だけなのです。
どうか、その使命を受け入れてください。
今、死にたいと思ってしまっている人や、過去に死にたいと思っていた人は、この世でとても大きなニーズがあるということを知って欲しいのです。
「どうせ私がいなくなっても誰も悲しまない」
「私なんか消えてしまったほうがいい」
「私が死んでも悲しんでくれる人がいない」
こうした考え方はどれも間違いなのです。
死にたいと思ってしまった人を、この世界は必要としているのです。
もしあなたが死にたいと思ってしまっていたとして、何とか踏みとどまり、他の誰かが死にたいと言っている時に話を聞いてあげて、その人が死ぬのを踏みとどませることができたら、きっとあなたはその人の家族や友人から感謝されることでしょう。
死にたいと思った人は、心の闇を知っている人です。
それは、他の死にたい人の気持ちを理解することができる才能の持ち主であり、誰かを救うことができる才能の持ち主でもあるのです。
ですから、生きていても何の価値もないなんて考えるのは大きな間違いです。
もし私の大切な人が自殺を考えている時、過去に死にたいと思った人が私の大切な人の話を聞き、理解して、自殺を踏み留ませることができたとしたら、私はその死にたいと思った人に一生感謝し続けることでしょう。
つまり、この世に生きていても何の価値もないと思っている人は、他の誰かにとってみたら一生の命の恩人になるかもしれないのです。
ですから、死にたいと思ってしまった人は、その気持ちを大切にして、他の苦しんでいる人の気持ちを理解してあげたり、苦しみから救ってあげられる才能があることを忘れないでください。
死にたいと思ってしまった人は、この地球にとってはかけがえのない存在なのです。
まとめ
「死にたい」と思う人が生まれてきた理由とは、「死にたい」と思えるような困難な人生を乗り越えて、その経験を生かして、同じく「死にたい」と思う人を救済するためなのです。
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