
私は成功哲学と言う分野のブログを書いてきました。
どうしたら人生で成功することがでるきのか?
たった一度の人生を成功するために何をすればいいのか?
そのためには、言葉を変えたり、思考を変えたり、様々なことをやってきたつもりです。
しかし、とうとう、そういった成功法則を卒業しなければならない時が来たような気がします。
これまで培ってきた成功法則は、本当の意味での成功法則ではなかったと思えるのです。
もちろん、180度間違っていることではないし、これまで通り実践しても人生は向上することは間違いありません。
しかし、それらをいくら頑張っても、本当の意味での成功に到達することはできないとほぼ悟ったのです。

なぜなら、本当の成功とは、成功することではないからです。
これはほぼ悟りに近いかもしれませんが、このことを知るだけで、人生は無敵になります。
どんなに辛い人生でも頑張れる勇気が湧いてきます。
今日は、人生が辛いときに頑張れる名言をご紹介いたします。
人生が辛いときに頑張れる名言!
私が一番好きなノーベル賞作家「T.S.エリオット」の言葉がこちらです。
我々は探求をやめてはならない。
そして、我々の全ての探求の最後は、
初めにいた場所に戻ることであり、
その場所を初めて知ることである。
- T.S.エリオット -
T.S.エリオットの言葉はどんな意味なのかと言いますと、成功することではなく知ることが大切なのだと言うことです。
知ることとは何を?
それは自分が何者であるかと言うことです。
私にはこのT.Sエリオットの言葉の意味が分かります。
我々は探求をやめてはならない。
そして、我々の全ての探求の最後は、
初めにいた場所に戻ることであり、
その場所を初めて知ることである。
初めにいた場所とは「宇宙の根源」のことです。

宇宙の根源の神と呼ばれる存在から、私達は魂を分けていただき、それぞれ人として様々な経験をしています。
本当は魂は人だけではなく岩や動物や雲にも宿っています。
つまり、この世の全てのモノに魂が宿っています。
いわば、この宇宙とは生命そのものなのです。
「宇宙」=「生命」 と言うことです。

そして、私達の経験は全て記録され、宇宙のアカシック・レコードと言うデータの貯蔵庫に蓄えられていくのです。
そして、全ての経験を積んだ私達は、この宇宙が何であるかを知るのです。
宇宙の根源の正体とは?
この宇宙が何であるのか、それは私達3次元の存在で認識できる言葉で言うならば、「仏の心」と言うことになるのです。
「仏の心」とは、この宇宙の全ての存在を愛する心のことです。
重要なのは、宇宙の全ての存在を愛する心であり、善も悪も愛する心なのです。

なぜ仏は悪すらも愛するのかと言いますと、それも元を辿れば仏の心を分けた魂だからです。
一時的に道に迷っている存在、それが悪なのです。
そう言うことを探求すること、知ることが真の意味での成功なのです。
学校で学んだ地球の歴史は本当のことなのか?
成功哲学を研究していくと、多くの矛盾に出くわすことがあります。
例えば、人間はなんのための生まれてくるのかと言うことを突き詰めていくと、人類とは何か、地球とは何か、宇宙とは何か、という壮大なテーマになっていくのですが、その中でどうしても科学的に説明できない不可解な出来事が出てきます。
例えば、なぜ古代文明の遺跡にはUFOや宇宙人らしき絵が刻まれているのか?

今の科学技術をもってしても、説明がつかない出来事はいくらでもあります。
そもそも、テレビコマーシャル(CM)を見ていれば分かることですが、CMは商品を売るために、その企業が都合のいい事だけをアピールしているので、確実にそこには情報操作が行われています。
学校の歴史で学んだことがある人も多いと思いますが、ある権力が国民から資金を集めるために「免罪符(めんざいふ)」というのを発行し、これを買うと罪が軽減されると言って売りまくって莫大な資金を集めたりしていました。
この時、国民が沢山免罪符を買うような情報操作が行われているのです。
生命保険であれば、一家の大黒柱が死んだらお子様たちが学校を卒業するまでこれだけの費用がかかるから保険に入っておきましょうと、不安を煽って保険の加入を勧めます。
これはあながちウソではありませんが、不安を煽って商品を購入させるというのは、どの業界でも常とう手段となっています。
つまり、世の中に出回っている情報というのは、発信者が何かを訴える時に、意図的に発信者の思惑の通りになるよう情報操作が行われているということです。
人類の歴史を辿って行くと、アウストラロピテクスや北京原人が誕生してエジプト文明、メソポタミア文明、インダス文明、黄河文明などが起こったとされていますが、地球の地層からはそれよりもはるか昔に核戦争があったとされる証拠があったり、海底に沈んだアトランティス大陸やムー大陸の遺跡も見つかったりしています。
おそらく、人類の歴史は学校で習った歴史とは違って、もっとかなり前からいろいろあったのですが、いろいろと都合が悪いので書き換えられている可能性が高いのです。
ビジネスの世界でなぜかタブーとされるスピリチュアル
私は都内の会社に勤めているので、東京ビッグサイトなどで開催される展示会によく出かけます。
そこでは多くの企業が自社の新サービスのプレゼンテーションを行っていて、「住みやすい社会、暮らし」などがテーマになっていて、地球や社会に貢献しています的なストーリが多いのですが、そこでいつも感じることは、なぜかスピリチュアルな要素が全くないことです。
芸能人や有名人がお亡くなりになり、お別れ会みたいなのに多くの関係者が参列し、お別れの言葉を言うシーンがテレビなどで流れるのですが、その時故人に対して「天国から見守っていてください」とか涙ながらに訴えています。

つまり、誰もが人は死んだら天国(あの世)に行くって分かっているのに、ビジネスの世界になると、そう言ったスピリチュアル的なことを面と向かって言う企業はぜんぜんありません。
あくまでもこの世に拘り、この世だけをテーマにし、この世だけで幸せになりましょうと言っています。
つまり、ビジネスの世界にどっぷりつかっていると、神様なんていないよねとか、人は死んだら終わりだよねとか、人間が絶対に不幸になるような思考に洗脳されてしまうのです。
新年の始めに、総理大臣が伊勢神宮に参拝するシーンをテレビで見たりしますが、総理大臣が「年の初めは神社に行って初詣をしましょう」とか言えば、多くの人達が初詣をすると思うのですが、なぜかそう言うことを言ってくれないのです。
もちろん総理大臣の立場で科学的に証明できない神様が「います」とは言えないでしょうから、難しいのかもしれませんが、だったら初詣に行くのはなんででしょう?(神様がいるから行っているんでしょう?)と突っ込みたくなるようなことをやらざるを得ないのが今の日本という社会なのです。
ですから、世の中に出回っている情報と言うのは、誰かの都合によって誰かの意図する方向に情報操作された情報であるということを常に意識していないとだめなのです。
宗教の教えの所々には陰謀が散りばめられている
世界で戦争が無くならないのはなぜでしょうか?
ほとんどの戦争には宗教が関係しています。
なぜ人々を崇拝させる神聖な宗教が原因で、人々は殺し合ったり、憎み合ったりしなければならないのでしょうか?
宗教は世界平和のためにあるべきはずなのに、宗教が原因で世界は戦争をしていると言う、とんでもない矛盾が発生してしまっているのはなぜなんでしょうか?
その理由は、強大な権力を持った人達が、自分たちが都合のいいように情報操作をしているからです。

宗教を崇拝する人達は何億人もいるわけですから、その宗教に支配者の意図を巧妙に組み込めば、何億人もの人達をコントロールできてしまうのです。
では支配者たちは何のために人類をコントロールしようとしているのかって話になります。
そうしたことを突き詰めていくと、人類の歴史がアウストラロピテクスから始まっているのはどうも違っていそうだぞとか、世の中で言われている常識とはどうも真実ではなさそうだぞとか、いろいろなことが分かってきます。
そして、さらにさらに突き詰めていくと、この地球と言う惑星は、どうも人類がイメージしている惑星とはだいぶ違った真の姿が見えてくるぞとか、なってくるのです。
そもそも、そんなに突き詰めて行って、結局何がしたいのさって話になってくるのですが、実は人間が何であるか、自分が何であるか、それを探求することこそが、私達が生きている最大の目的なのです。
さて、ここでT.S.エリオットの言葉を思い出してください。
我々は探求をやめてはならない。
そして、我々の全ての探求の最後は、
初めにいた場所に戻ることであり、
その場所を初めて知ることである。
つまり、生きているうちは探求を続けなければならないということなのです。
それが私達人類の仕事であり、それを探してほしいというのがこの宇宙の意志なのです。

あなたには、あなたの人生の意味があります。
ぜひ、あなたと言う素晴らしい個性を以て、この世界を探求して行ってください。
そして、その探求の先には、この宇宙というスーパテクノロジーの舞台で生きている今この瞬間がどれほど価値のあることなのか、改めて知ることになると思います。
人生が辛いと感じるのは、人生の意味を知らなさすぎるからです。
人生が辛いと感じるなら、死ぬ気で勉強してみてはいかがでしょうか?
死ぬ気で勉強するとは、本を1万冊読むとか、そういうレベルです。
それだけ学んで人生が辛いというのなら、その考えは正しいのかもしれません。
ですが、ほとんどの人は人生の意味を知らなさすぎる中で、人生は辛いと解釈してしまっています。

それは本当にもったいないと思います。
人生に打ちのめされても、まだまだこれからが本番なのです。
あなたは今、どこまで理解できていますか?
我々は探求をやめてはならない。
そして、我々の全ての探求の最後は、
初めにいた場所に戻ることであり、
その場所を初めて知ることである。
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