
先日、私のブログで人生は「人類ゲーム」だから何があっても楽しく生きていきましょうというブログを書きました。
そんな矢先、我ながら悲しい事件が起きました。
何があっても楽しもうと豪語した矢先に事件発生!
車で国道を走っていたのですが、交差点の信号が黄色に変わりました。
私の車はギリギリ交差点を通過することができました(ラッキー!)。
私は走行中の車の集団の先頭を走っていたので、信号機を通過したら私の車だけが走っている状態になりました。
そして、しばらく走ると道の脇に止まっていたパトカーが私の車を追っかけてきました。
信号は確実にまだ黄色だったので何だろうと思ったのですが、パトカーに止められて、お巡りさんにスピード違反と告げられました。
減点と罰金の刑でした。
「マジかよ~、あの信号がもっと早く赤に変わっていたら捕まらなかったのに~」とか思いながら、時間よ戻れとか色々考えても、もう起きてしまったことは仕方がありません。
「ふん、ここで怒ってはいけない。人生は人類ゲームなんだろう?面白いじゃないか~」と一人でぶつぶつ言いました。
スピード違反で捕まって気が付いた驚くべき秘密!
そして、ふと気が付いたことがあったのです。
もし、あの信号が黄色ではなく赤になっていたら、私はパトカーに捕まらなかったかもしれません。
ですが、黄色の信号の時は通過できてラッキーだと思ったのです。
つまり、ラッキーだと思ったことがスピード違反と言う悲しい現実を引き起こしてしまったのです。
と言うことはです。
スピード違反で捕まったと言うことはラッキーなことだったのかもしれません。
なぜなら、スピード違反で捕まったからこそ、そこで足止めされたおかげで、その先で信号無視をしてきたトラックと衝突して即死することを間逃れたのかもしれません。
黄色の信号を通過した時、その先でスピード違反で捕まるなんて想像もしていなかったのですが、想像すらしていないことが現実に起こったのです。
と言うことは、スピード違反で捕まって足止めされたことで、その先で信号無視をしてきたトラックと衝突して即死することを間逃れたということが絶対に無いとは言い切れないのです。
そう考えると、ラッキーと思っていたことが実はアンラッキーを引き起こしたのですが、このアンラッキーはラッキーな現実を引き起こしていたのかもしれません。
つまり、日常においてアンラッキーと思われることは、実はそれによってもっとアンラッキーなことを回避しているのかもしれません。
アンラッキーなことはラッキーなことだった!
正直、事故を起こして即死するくらいなら、スピード違反で捕まって罰金払ったほうが何百倍もラッキーなことです。
そう考えると、アンラッキーと思えるようなことは、実はそれがラッキーな現実を引き起こしている可能性があるので、アンラッキーなことはウェルカムなのかもしれません。
中には、どう考えてもアンラッキーとしか思えないような事だってあるかもしれませんが、そういったことですら、実はラッキーなことだと私は思います。
極端な話、若くして病気や事故で死んでしまったとしたら、それがどんなラッキーになるのかと言いますと、早くあの世に帰れたので、この世で変なことをして新たなカルマを作るよりは、魂が成仏して仏として成長できるというラッキーなのです。
となると、この世で起こる出来事は、実は全てラッキーなことなのです。
私はスピード違反をして減点と罰金の刑を課せられてしまいましたが、その先の交差点でトラックに突っ込まれて即死する現実をスピード違反で回避した可能性があることを考えると、スピード違反で捕まえてくれたお巡りさんに感謝ですよね。
だったら、最初から信号機が赤だったら良かったじゃんで思われる方がいるかもしれませんが、ここでお巡りさんに捕まらなかったらこのアンラッキーもラッキなことと言う素晴らしい秘密に気が付くことができなかったのです。
つまり、神様は未来を見据えて、私がこの素晴らしい秘密に気が付けるよう、仕組んでくれたと思えるのです。
そう考えると、私は本当に運がいい人間です。
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