
お釈迦様は、「人生とは苦難である」と言いました。
確かに、そうかもしれません。
ですが、この言葉には、とても深い意味が込められています。
そもそも、「人生とは苦難である」という言葉だけでは、真実は何も見えてきません。
この言葉の前に、大切な言葉が隠されているのです。
その言葉とは、コレです。
「人生とは、楽勝である」
お釈迦様はなぜ真逆のことを言ったのか?
人生とは苦難であると言いながら、その前に「人生とは楽勝である」って、何言ってるんだって思われる方がいるかもしれませんが、この意味が分からないとお釈迦様の言葉の真理はいつになっても解き明かすことができないのです。
それでは、その謎を明らかにして行きましょう。
そもそも、人生というのは楽勝なのです。
なぜ人生に苦しめられる人がいるのかといいますと、その人が「ドM」だからです。
人生に苦しめられている人というのは、自ら自分を苦しめるように努力をしているのです。
なぜなら、「ドM」だからです。
昔、加藤茶(かとうちゃ)さんがドリフのコントで「あんたも好きねえ~」というのをやっていたのですが、まさにそれです。
自分で自分を苦しめておいて、「苦しい」「苦しい」と言っているのです。
なぜそんなことをしてしまうのかと言うと、それは人生を間違った視点で見ているからです。
人生が楽勝だと分かった時に起こる問題とは?
あなたの人生とは、誰かに用意されたものではないのです。
誰かが書いた人生のシナリオに沿って、人生を生きているのではありません。
シナリオはあなた自身が書いているのです。
辛い人生を送っている人は、辛い人生のシナリオを自分で書いているのです。
自分で辛い人生のシナリオを書いていながら、「人生はつらい!」って言っているのですが、当たり前ですよね。
何のためにわざわざつらい人生をシナリオに選んだのかと言いますと、それは魂の修行のためです。
スポーツ選手はスポーツが上手くなりたいので厳しい練習に耐えていますが、ラクな練習なんて意味がないのです。
つまり、人生もラクな人生は魂にとっては全く意味のない人生なのです。
魂は成長したくて成長したくてウズウズしていますので、辛い出来事があると嬉しくて嬉しくてたまらないのです。
まさに魂は「ドM」です。
そんな魂を天界の次元から見ると、ついつい「あんたも好きねえ~!」と言いたくなるのです。
本当は人生なんてものは楽勝なのです。
ですから、何が起こっても楽勝で乗り越えることができるのです。
ですが、人生が楽勝だという宇宙最大の謎が解けてしまうと、大きな問題が発生してしまうのです。
それは、この人生のリアリティが無くなると言うことです。
真逆のことを言ったのはお釈迦様の思いやり
私達は、たいくつな宇宙での生活に飽き飽きしてしまったからこそ、このスリル満点の物質世界に遊びに来て人生を楽しんでいるのです。
自作自演で波瀾万丈なシナリオを書いて、その人生をリアルに感じながら生きることがこの世の楽しみ方なのです。
ですが、この真理を知ってしまうと、起こる全ての出来事が自作自演の茶番劇であったといことが分かってしまうので、リアルじゃなくなってしまうのです。
ですから、「人生は楽勝です」なんてことは、本当は知らない方がいいのかもしれないのです。
ですが、あまりにも辛い人生に追い詰められてしまっている人が多いので、「辛い人生はほどほどにして、せっかくのこの人生を思いっきり楽しみな!」というアドバイスが宇宙から人類に発せられているのです。
お釈迦様が言った、「人生とは苦難である」と言う言葉の本当の意味は、「人生は楽勝だけど、せっかくスリルを味わいに来ているんだから、それを存分に味わってきなさい。最高にスリルな人生とは、苦難な人生なのですよ」ということだったのです。
これからあなたの人生に起こる様々な出来事は、あなたが最高の人生を送るために必要な出来事になるのです。
ですから、どうせ最高の人生になるためのものなのですから、どんなことがあっても「これはスリルがあって楽しいなあ~!」と思っていれば、確実に成功することができるのです。
もし、あなたが今、人生に打ちのめされてしまっているとしたら、それはあなたが望んだ最高の人生を生きているということです。
どうしようもないくらいの苦しみの人生は、あなたが経験したくてたまらなかった人生なのです。
ですが、もうそんな人生は十分に分かったから、今度はいい人生を歩みたいと思う人は、不幸な人生のシナリオから、いい人生のシナリオをに書き換えてしまえばいいのです。
その方法とは、「人生は楽勝である」と考えることです。
「人生は楽勝である」と考えた瞬間から、あなたの現実は人生が楽勝な世界へと変化していきます。
最初のうちは、それまでのつらい人生という思考によって次々と辛い出来事がやって来るでしょうが、それが出現しきると、次からは「人生は楽勝である」と考えた現実があなたの目の前にやって来ることになります。
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