もし、人生の何もかもが思い通りになったら、あなたは幸せになれますか?
おそらく、誰もがそんな最高な人生を理想にしてしまうと思います。
ですが、人間が考える最高の人生とは、神様が考える最低の人生なのです。
なぜなら、神様が意図した人類の創造した目的である、魂の修行という観点からは、なんの成長も望めないからです。
最高な人生は最高にむなしい!
例えば、あなたは将来弁護士になって、いろいろな訴訟で活躍してお金持ちになりたいと考えたとします。
あなたはたいして試験勉強を頑張らなくても、もう司法試験が合格するのは決定しています。
あなたの運命は全ての願いが叶うのですから、司法試験に受かりたかったら絶対に受かるのです。
すると、何の勉強もしなくてもいいかなって思いませんか?
でも、勉強しなければ弁護士になった時に困ると思うかもしれませんが、心配いりません。
あなたの人生は、全ての願いが叶うのですから、例え弁護士の知識がなくたって、訴訟で活躍したいと願えば、それが叶ってしまうのです。
そう、昼寝をしていても勝訴が確定しているので、あなたは何も頑張ることがないのです。
もはや、朝起きて、部屋でゴロゴロして、指定の時間に裁判所に行って、適当なことを言って、それで勝訴できて報酬ががっぽり入ってくるのです。
そんな人生で、本気で頑張れますか?
そんな人生が、本当に最高の人生なのでしょうか?
努力したり頑張るからこそ人生が光る!
何でも願いが叶ってしまう人生なら、あまりにも退屈であまりにも無意味ですよね。
努力して頑張って、やっと手に入る資格だからこそ、手に入った時の喜びが大きいのです。
全然喉が渇いていない時に、水をいっぱい飲んでも感動はありませんが、喉がカラカラになるまでスポーツジムで汗を流した後、冷たい水をゴクゴクと飲んだ時の感動は凄いと思います。
つまり、人間の幸福度とは、その手前段階でどれだけギリギリまで頑張ったかにかかっているのです。
人生が絶望的で、もうダメだと思ったとき、歯を食いしばって頑張って乗り越えたとき、その人生はそこがキラリと光るのです。
私達は、そうやって人生を光らすために困難な経験を乗り越えていくのです。
踏ん張りどころをどう乗り切るか!
私達がこの世を去り、魂となってあの世に行くと、自分の人生の振り返りを上映する映画館のような場所に行きます。
そこには自分が生前に関わった人達が観客として来ています。
そして、そこで死んだ人の人生の全てが上映されます。
その時、「こんな困難をこんな気持ちで乗り切ったんだよ」とか、「この時はもう絶望的だったけど、最後まで諦めなかったよ」とか、その人が自分の人生とどう向き合ってきたのかが全部上映されます。
そこで、集まってきている観客が感動して大きな拍手をもらえる人もいれば(天国行)、あまりにも身勝手な人生で観客の冷たい視線を浴びるか(地獄行)が決まるのです。
ですから、私達は目の前に立ちはだかる問題に対して、死後、この問題をどんな心で受け止めたのかを答えなければならない、と言うことを意識しないといけないのです。
つまり、目の前に問題が立ちはだかって来たら「死んだ後、映画館で上映される時、この問題に対してこんな気持ちで対処した、と言うことが問われる。よし、前向きに対処しよう」とか思えばいいのです。
そして、ここに大いなる宇宙の秘密があるのですが、人が抱えてくる問題の中に、その人のキャパシティを超えた問題は起こらないと言う法則があるのです。
これは言い方を変えると、その人が抱えてくる問題において、解決できない問題はないと言うことです。
もちろん、すぐに解決できなかったり、解決するのに何年もかかるような問題はありますが、いずれにしても解決できないような規格外の問題は起きないと言うことなのです。
ですから、大きな問題が立ちはだかっても、心を静かにして、その問題を受け止め、なぜその問題が起こったのか、その意味を考え、それが自分の人生においてどんな意味を持つのか問いを発すれば、そのうち解決策が見えてくるのです。
コメントを残す