
人類はいったいどこに向かっているのでしょうか?
このブログは成功哲学というテーマですが、実は個人レベルで人生の成功をしてもあまり意味がなく、人類として成功しなければ本当の意味での成功とは言えません。
もし、あなたが日々の努力の末、自分の夢を叶えたとしても、この地球がなくなってしまったらいったいどんな意味があるのでしょうか?
実は、私は個人レベルで成功したいと願っておりますが、私と言う個人がこの宇宙で成功するためには、どうしても周りを巻き込まなければ成功はあり得ないというのが私の考えです。
そのためには、かなり壮大な話になってしまいますが、まずは人類がこの地球に愛される存在にならないとだめだと思うのです。
人類の文明がどんどん進化して行き、都市部では高層ビルが乱立して大気汚染などが問題になっていますが、その一方では生活が便利になり、人類はその文明の恩恵を沢山受けています。
私はこの文明がさらに発展して行った時、結局人類はどんな文明を手に入れるのか?ということをずっと考えていました。
高層ビルは地球を突き抜けて月まで行ってしまうのか?
東京からニューヨークまでは数分で行けるようなジェット機が開発されるのか?
人類の文明はいったいどこでゴールするのだろうか?
そんなことをずっと考えていました。
そして遂にその全貌が見えてしまったのです。
武蔵御嶽神社でテクノロジーの最終形が見えた!
人類の文明の最終形はどんなものなのかをずっと考えていたのですが、その全貌は驚くべき場所で発見することができました。
まずはその発見に至るまでのいきさつを説明いたします。
高尾山薬王院
その日は朝から天気が良かったので、まだ行ったことが無かった東京・高尾山の薬王院に行きました。
薬王院は神社とお寺が混ざったようなとても不思議な場所でしたが、なぜ高尾山に多くの観光客や登山客が訪れるのかその理由が分かった気がします。
とても素晴らしい場所なのです。

高尾山・薬王院四天王門

高尾山・薬王院ご本堂

高尾山・薬王院ご本社
武蔵御嶽神社
そして、その日はもう一つ参拝しようと計画していたのが、高尾山から北に20kmくらい行ったところに武蔵御嶽(むさしみたけ)神社があります。
高尾山から武蔵御嶽神社までは車ならそれほど時間はかからないと思うのですが、私はその日は電車で移動していたので、高尾山から武蔵御嶽神社までは高尾山口⇒高尾⇒立川⇒青梅⇒御嶽⇒ケーブル下⇒御岳山⇒御嶽神社と2時間近くかかりました。
そして、武蔵御嶽神社で参拝を済ませ、境内を見て回っていると、本殿の左側に「触拝所」という柱が立っていたので、触ってみることにしました。
するとすごい不思議な感覚なのですが、手のひらを柱にあてると「ふわっ」っという感覚がするのです。
確かに得たえの知れぬパワーが出ているなあというのが分かります。

武蔵御嶽神社 触拝所
武蔵御嶽神社はその一体がパワースポットと言われているらしく、確かに素晴らしい空気が漂っているのですが、境内のベンチに座って拝殿を眺めながら考えていました。
「なぜ、超高度文明の天界(天国)には神殿がたくさんあるんだろうか?神殿ははるか古代の文明のような形をしているのになぜ最先端の高度文明にも使われているのだろう?」
日本の歴史でも古代文明と言われている出雲大社の神殿は今から何千年も前のものですが、なぜその頃の形が今だに天界の社殿で使われているのか不思議だったのです。

武蔵御嶽神社ご本殿
その時全てが一瞬で分かったのです。
天界の超高度文明とは、この宇宙の文明の最終形であるということが。
この宇宙の最終形のテクノロジーとは、この宇宙システムそのものだと。
人間がなぜ自然に癒されるのか、その理由はこの自然というのが宇宙の最終形のテクノロジーで作られているからです。
つまり、この地球の大自然を含む宇宙そのものが、宇宙の最終形のテクノロジーであり、実は私達の目の前に存在しているこの世界こそが、最終形のテクノロジーで作られているのです。
この最終形のテクノロジーのすごいところは、全ての物質は自然に帰化することができることであり、それによって循環しながら未来永劫存在することができるのです。
そうなると、人類が今頑張って作りあげている高度文明とは最終形のテクノロジーとは逆行してしまっていることに気が付きます。
金属やプラスチックやセラミックなど、自然に帰化しない物質で高層ビルを作ったり様々なモノを作っています。
よく、自然を無視した開発などはいけないということで「自然に帰る」ことを啓蒙したりしていますが、そもそも人類は自然に帰るのではなく、自然に向かって進まなければならないのです。
人類の文明の最終形は、いかに自然に近づけられるかということであり、自然に帰るものではなく、自然を目指すべきものなのです。
ですから、昔の人達はかなり自然と一体化して暮らしていたので、そういった意味ではかなり進化した文明だったのですが、今の人類は自然とはかなり遠ざかってしまっているので、文明としては退化していると言えるのです。
そして、自然から離れていくほど、人間は不安や怒りの感情が増幅されていくのです。
このままだと人類の未来はナウシカの世界になりかねない!
宮崎駿監督のアニメ映画「風の谷のナウシカ」は誰もが知っている国民的な映画ですが、この映画のストーリーはウェキペディアによると「高度産業文明を崩壊させた「火の7日間」という最終戦争から1000年、汚染された大地には異形の生態系である巨大な菌類の森「腐海」が拡がり、腐海を守る「蟲」と呼ばれる昆虫に似た巨大生物たちが生息する。」となっており、これはまさに今私達人類が突き進んでいる未来を示唆したものではないかと思えるのです。
武蔵御嶽神社からは関東平野が一望でき、眼下には大都市東京の街並みが広がっています。
その景色を見ていると、あまりにも武蔵御嶽神社の空気とは異なり、自然とはほど遠い世界になってしまっていて、神様もそっちの世界(都市部)には行きづらいんじゃないかなって思えてきます。

武蔵御嶽神社から見えるガスの雲海に沈む都心(引用:武蔵御嶽神社HP)
超高度文明の天界とはまさに武蔵御嶽神社のような自然と調和した聖域が広がっている世界ですが、人類が住んでいる世界(特に都市部)は、かなり自然とかけ離れた生活をしてしまっているのです。
高層ビルや近代的な建物は、強度や景観だけが重視されてしまい、自然と調和させることがほとんど考えられていません。
逆に、超高度文明には高層ビルなどありません。
なぜなら、高層ビルなどが乱立する文明は、人類の不安や怒りが頂点に達して最後には戦争などでその文明事態を崩壊させるローテクノロジーだからです。
人類の生活はよりよくしていくことは大切ですが、そのプロセスは自然に向かうモノでなければなりません。
自然と離れて行けば行くほど、人類の未来は過酷なものになって行きます。
そういう目でもう一度「風の谷のナウシカ」を見てみてください。
私達人類は、大きな勘違いをしているようです。
自然とははるか昔のものではなく、私達人類が目指すべき最終ゴールなのです。
宇宙最高のテクノロジーとは、生命を生み出し、循環させ、全てのバランスを保つこの宇宙システムそのものなのです。
これがどれくらいすごいものかと言いますと、中学校では連立方程式(変数がXとY)を習い、解(答え)がなかったりするのですが、この宇宙は無量大数・次元連立方程式の解(=最大のバランス)よって作られているのです。
そのテクノロジーの中で生かされている今の人類にできることとは、感謝をすることくらいしかありません。
道端にある草木やお花畑を舞う蝶々、全てが最高のテクノロジーでできている作品であり、そのことにどれだけ感動できるかが大切なのです。
そういう世界観を持っていると、人生とはなんと素晴らしい舞台であるか、そう思わずにはいられなくなるのです。
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