神社に行きたくなる時とは?人生に転機が訪れると無性に神社に行きたくなる!




なぜか無性に神社に行きたくなる時がある!

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なぜか無性に神社に行きたくなる時がありませんか?

そう言う時は、一体何が起こっているのでしょうか?

人生において、何か大切なサインが来ているのかもしれません。

私もそういった不思議な体験をしていますので、今日は私の体験を交えながら、神社に行きたくなる時の特徴をまとめてみましょう。

 

人生の折り返し地点で起きた奇跡!

 

「人生80年」とはよく言われますが、日本人の平均寿命はだいたい80歳くらいですので、人生80年というのはあながち間違いではないようです。

人生80年と考えた場合、私も40歳を超えましたので、なんと人生の折り返し地点にきてしまったということです。

それで、自分の人生とはいったい何なんでしょうかってことをいつも自問自答してきたわけですが、人生とはいったい何なのか、きっとあなたもそんなことを考えたことがあると思います。

 

人は生まれ死んでいくさだめ

 

人は誰でも間違いなく「死」を迎えることになります。

人が死んだら、「あの世」に行くと言いますが、私は「あの世」があると思っている人間です。

それで、「あの世」があって、「この世」があるんですが、「この世」に来るためにはとても大変なルールがあることに気が付いたんです。

「あの世」から「この世」に来るためには、UFOでやって来る訳には行きません。

なぜなら、「あの世」と「この世」では、構造が違っているからです。

「あの世」とは、時間と空間が無い世界ですので、どこまでも無限に広がっていて時間も永遠に存在しています(時間が永遠にあるので時間がないという言い方もできます)。

ですが、この世は空間は有限であり、時間も有限です。

一つだけ分かり易く説明しますと、無限の空間ということで、地面が無限に続いていると想像してください。

「あの世」では地面が無限に広がっているんですが、「この世」では空間が存在するため、どこかに必ず境界を作らなければいけないんです。

そこで無限の地面は「この世」では「球体」になって、どこまでいっても無限の地面にはなりますが、地球のような「球体」にすることで、有限の空間の中に無限の地面になるような形になっているんです。

つまり無限の平面のものは、この世では「球体」になることで、無限性を保ちつつ、有限の空間に存在することができるんです。

ですから、「あの世」と「この世」では構造が違っているということを知って欲しいんです。

 

諸行無常の響きあり

 

そして、「この世」とは「時間」が存在するため、全てのモノ(物質)に寿命というものがあるんです。

この世の全てのモノは、一つ一つ単体で見ると新しく生まれて、やがて元の状態に戻るようにできていますが、種全体でみればどんどん進化するようにもできています。

人類も単体で見れば、この世に生まれて死んでいくんですが、新しい生命を次々に生み出すことで、人類という「種」全体ではどんどん進化しています。

落葉樹で例えると、落葉樹の葉っぱは春になると芽から葉っぱになって、夏には緑さんさんと光合成をして、秋には美しく色付いて、冬には土に帰ります。

葉っぱの人生としてみれば1年で完結してしまいますが、落葉樹の幹はそうした経験を通じてどんどん成長していきます。

つまり人間一人一人の人生とは、落葉樹の葉っぱのようなものなんですが、人類全体としてはどんどん成長しているということですね。

それで人は何度も何度も生まれ変わっていろいろな人生の経験を積むんですが、この世にやってくるためには一つのルールが存在します。

それは、必ず胎児から生まれてこなければならないということです。

正確に言うのならば、この世にやってくるだけなら、UFOでも来ることはできますが、この「地球」という世界に連動して生きるためには、「地球」という世界に連動した肉体というものに入らないといけないんです。

そのためには、魂は人間の胎児の段階で融合する必要があり、全ての神経経路と結合して魂と肉体が完全に融合した状態で生まれてこなければならないんです。

つまり、この世に生まれる肉体が存在しない限り、人がこの世に生まれてくることはできません。

しかも、肉体には数に限りがありますので、あなたの魂が人としてこの世に生まれてくることができるのはほぼ奇跡であると言っても過言ではありません。

それほど、この世界で生きると言うことは、価値のある経験なんですね。

 

私が生まれるまでの物語

 

それではここで、私がこの世に生まれるまでの物語を簡単にご紹介しましょう。

私は「故郷(つまりあの世)」で、スクリーン越しに「地球」という世界を見ていました。

「地球」ではいろいろな出来事が沢山あって、とてもエキサイティングで楽しそうでした。

「地球」には「美味しいモノを食べる」とか「旅に出て美しい景色を見て感動する」とか「素敵な異性と出会って恋をする」とか「逆境を乗り越えて強くなる」とか、魂にとってワクワクするようなことが沢山経験できるんです。

好奇心旺盛な私の魂は、どうしても「地球」に行ってみたくなりました。

そして「神様」に地球に行かせて欲しいと懇願しました。

「神様」は、確かに「地球」の経験は魂にとって大きな成長をもたらすけど、「貧困」や「苦難」など、生存競争が生み出すマイナスな出来事もあるけど大丈夫か?と言いました。

私の魂はそれでも地球に行きたいと懇願したので、「神様」はじゃあ行ってきなさいと言ってくれました。

そして、私の地球での人生の筋書きを決めて、それに適合する肉体の準備がととのったところで、私の魂は夢と希望を乗せて、「行ってきま~す」と言って胎児だった私へと送り込まれました。

そして全ての記憶が無くなって、「オギャー」と産声を上げてこの世に生まれました。

それから人としての人生を送って今日まで生きてきたんですが、これからの人生はちょっと違う生き方をしなければならないような気がしています。

それは、自分がこの世に生まれてきたからには、何かしら「使命」を持って生まれてきたという思いが日増しに強くなってきたからです。

 

人生を変える転機の時に神社に呼ばれる!

 

そしてそれを確信する出来事が実は起こったんです。

それは、南紀に旅行に行って「熊野本宮大社」に行った時のことです。

私は数年前に熊野三山と言われる「熊野本宮大社」「熊野速玉大社」「熊野那智大社」のうち「熊野速玉大社」「熊野那智大社」は訪れていたのですが、「熊野本宮大社」だけはなぜか行けずにいたんです。

そして、念願の「熊野本宮大社」に詣でたとき、そのメッセージが飛び込んできました。

これがその時の写真です。

熊野本宮大社で出会ったメッセージ

「新たなる自分自身の出発を熊野で祈りて光り輝く」

「神を父 仏を母にいただきて 熊野より興さむ 出発の時」

この時、私は「ピン」と来たんですね。

「そうでしたか」と。

つまり、「人生を極めなさい」というメッセージだったんですね。

「人生を極めなさい」ということは、「己を知る」ということであり、それはこの世界や宇宙のことを知ると言うことでもあります。

逆を言うと、「お前はまだなんの仕事もしておらんぞ!」というお叱りの言葉でもあります。

ですから、心機一転、自分の人生を突き進もうと思った次第でございます。

私はいつも思っていることがあります。

それは、天からの何か重要なメッセージがある時は、由緒正しい神社等に呼ばれるということです。

なぜか無性にそういう所に行きたくなるんですね。

あなたもそんな気持ちになることがあると思うんです。

そんな時は、その直感を信じて出かけて行ったほうがいいと思います。

きっとそこには、あなたへの重要なメッセージがあるはずですから。

 

熊野本宮大社入口

手水舎

 

ご本殿

神聖な境内で天に昇る龍雲

途切れることが無い参拝客

本宮八咫烏(ほんぐうやたがらす)

大斎原(おおゆのはら)

 

 

まとめ

 

神社に行きたくなる時のまとめ
もし、突然に無性に神社に行きたくなったら、それは天が何か重要なメッセージを伝えようとしているのかもしれません。

そんな時は、迷わずに気になる神社に参拝してみてください。

天からの何か重要なメッセージがある時は、由緒正しい神社等に呼ばれるということです。

 

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