
自分を犠牲にしてでも誰かの幸せを願う人がいるのですが、実はそういう生き方は間違いなのかもしれません。
誰かを幸せにしたいと言う気持ちは素晴らしいと思いますが、誰かを幸せにしたかったらまずは自分が幸せにならないとダメなのです。
なぜなら、誰かに方程式の解き方を教えてあげたかったら、まずは自分が方程式を解けないと教えることなどできないからです。
「自分はいいからあなたが幸せになって」と言う自己犠牲の精神では、人も自分自身も幸せにすることはできないのです。
ここでは、自己犠牲は無意味であり、誰かを幸せにしたいのならまずは自分が幸せになる必要があるというお話をいたします。
自己犠牲ではなく全員幸せになる方法を考える
例えば、フェリーに乗っていたら船が沈没してきたとします。
船の乗客は1000人います。
救命ボートの数から言って、999人は助けられますが、一人だけ犠牲になる必要があったとします。
そんな時、あなたはどうしますか?
間違っても「自分が犠牲になる!」なんて思ってはいけません。
999人も助かるのなら、ちょっと詰めればもう一人くらい助かります。
駅のホームに人が溢れていても、到着した電車も満員なのに、全ての人がきれいに電車に乗るではありませんか。
押し込めば何とかなるモノです
何とか自分も助かることを考えましょう。
フェリーが沈没して、死者0名と死者1名では、フェリー会社の損害も全然違ってきますし、みんなを幸せにしたいなら、何が何でも助かったほうがいいのです。
自分の幸せの次に人の幸せ
誰かを本当に幸せにしたかったら、自己犠牲をせずにまずは自分が幸せになることを考えましょう。
あなたが不幸のままでは、誰かを幸せにするどころか、誰かのお世話にならないといけない可能性が高いのです。
あなたがいつも幸せで、いつもニコニコしていて誰に対しても優しかったら、それだけでとてつもない幸せを与えていることになるのです。
特に、誰かのために何かをやらなくても、いつもニコニコしているだけで、出会う人の数だけ幸せにしていることになるのです。

逆に、誰かを幸せにしたいとい言いながらも、普段からブスッとした顔をしていると、周りの人達に不快な思いをさせてしまっているのですから、幸せにした人の数よりも圧倒的に不快を与えた人の数のほうが多くなってしまうのです。
ですから、特別なことなんてしなくていいですから、普段からニコニコして人に優しくしているだけでいいのです。
たったそれだけのことですが、それが実は一番難しいのです。
なぜなら、人はニコニコするためには顔の筋肉を使わないといけないのです。
顔の筋肉を使わないと、自然にブスッとなるのです。
ですから、常にニコニコしていると言うことは、常に顔の筋肉を使って努力をしていることなのです。
自己犠牲を潔く諦めよう!
幸せになるためには、あきらめが肝心です。
幸せになるためには、頑張ってはいけないのです。
頑張れば頑張るほど幸せになれません。
諦めれば諦めるほど幸せになれるのです。
それはなぜか?
例えば、自分は誰かを幸せにしたいけど、誰も幸せにできていないとします。
この場合、誰かを幸せにすることを諦めるのではありません。
自分は誰かを幸せにしたいけど、誰も幸せにできていないことを諦めるのです。

ですから、常に誰かを幸せにしようと思っていいのです。
ですが、その結果、誰も幸せにできていなかったとしても、そこを諦めるのですからそれはそれでいいのです。
そして、潔く諦めて、美味しいものを食べに行けばいいのです。
それが自分が幸せになる第一歩なのです。
できないことは潔く諦めて、幸せになれることをやればいいのです。
そして、自分が幸せになって来たら、ようやく誰かを幸せにする段階に進めるのです。
自己犠牲は無意味のまとめ
自己犠牲は無意味というお話はいかがでしたでしょうか?
自己犠牲なんて選ばなくても誰かを幸せにすることはできますし、逆に自己犠牲を選ぶと返って誰一人幸せにできないのです。
- 自己犠牲ではなく全員が幸せになる方法を考える
- 誰かを幸せにしたったらまず最初に自分が幸せになる
- 誰かを幸せにできなくても諦めればいい
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