自分だけが不幸だと思ってしまうのは他人の心の悲しみが見えないから!

周りの人は、なぜか人生がうまくいっているように見えます。

なぜか、自分だけが世界で一番不幸にすら思えるから不思議です。

ですが、そんな、世界で一番不幸だと思っている人でさえも、他人から見れば人生がうまくいっているように見えるのです。

なぜなら、他人の本当の苦しみは見ることができないので、その人のパッと見がその人の人生であると勘違いしてしまうからです。

なぜか自分だけが不幸?

 

例えば、道端を歩くお年寄りがいたとします。

とても優しそうで、順風満帆な人生を歩んできているように見えます。

しかし、そのお年寄りに「おばあさんはさぞかし穏やかな人生を過ごしてきたのでしょう?」と聞いてみれば、「そんなことないよ。子供の頃戦争で親と兄弟が目の前で死んだし、友達は戦闘機に機関銃で撃たれて死んだよ。」とか、普通にそういう経験をしているのです。

人の心の悲しみは他人が見ることはできません。

しかし、どんなに順風満帆な人生を歩んでいるように見える人でされ、心の奥底には誰にも言えない悲しみや苦しみを抱えているものなのです。

ですから、自分だけが不幸だと思う人は、他人にも本当の心の悲しみがあるんだということに気が付かないといけないのです。

 

なぜみんなが不幸なのか?

 

学校でいじめられたとか、夫からDVを受けたとか、大病を患ったとか、生きていればいろいろなことが起こります。

なぜ、人は生きているだけでいろいろな辛い経験をしなければならないのでしょうか?

それは、辛い経験と言うのは魂の修行にもってこいだからです。

修行者は滝などに打たれて、つらい修行を重ねるのですが、それは何のためかと言いますと、修行の先にある本当の安らぎを手に入れたいからです。

つまり、辛い経験と言うのは人間の魂を飛躍的に向上させてくれるものなのです。

ですから、学校でいじめられたとか、夫からDVを受けたとか、大病を患ったとか、そういうことを経験すると、本当に心の痛みや悲しみを経験できるので、これは魂にとってみたらとても大切な修行になるのです。

そして、魂はそのことを目的にこの世に生まれてくるわけですから、人生で起こる辛いこととは、自分が生まれる前に計画してきたことなのです。

しかし、そんな辛いことが起こった時、どんな心構えでいるかは生まれる前に決めることができません。

つまり、心構えはアドリブと言うか、試験になるのです。

理不尽なことが起こった時、感情に任させて怒り狂うか、それとも、冷静に対応ができるか、どんな行動を起こすかはその人次第なのです。

 

人間は行動を選択できる!

 

人間と動物の最大の違いは何かと言いますと、人間には「選択肢」が与えられていると言うことです。

例えば、サバンナでシカはライオンを見つけると我武者羅に逃げ出します。

ここに選択肢はありません。

「ライオンを見たら逃げる」と言う因果の法則が成り立っているのです。

しかし、人間は違います。

例えば、会社で鬼上司を見つけても、逃げることもできますが、逃げないと言う選択肢もあるのです。

ですから、嫌なことが沢山あって「人生は終わりだ」という選択することもできれば、「人生は面白すぎる。スリル満点だ」と前向きに考えることもできるのです。

ならば、例えどんなことが起こっても「なんやかんや言っても、生きているって楽しいぞ。生きているうちにいろいろな経験をしよう」と思うことがとても大切です。

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