生きているのが辛いなら生きているこの意味を考えてみたほうがいい!

成功を追い求めて20年以上。

成功とは一体何なのか、ずっとずっと考えてきたつもりです。

一番分かり易い成功とは、お金持ちになることだったので、お金持ちになるために必死に勉強してきました。

起業や株式投資などは20代の頃にかなり勉強したと思います。

お金持ちになることは確かに一つの成功の形だとは思いますが、お金持ちになるだけでは人生を成功したことにはならないと考え始めました。

成功の根本とは?

 

なぜお金持ちになるだけでは人生を成功したことにはならないかと言いますと、お金持ちになっても死んだら終わりだからです。

もちろん、お金持ちにならないままで死んでも終わりですが、なぜ人間は必ず死んでしまうのに生まれてくるのでしょうか?っていう根本的な問題を知ることが大切だと思いました。

「なぜ人間は生まれてくるのか?」

お金持ちになって、贅沢三昧好き放題やって死んでいくことが人生の目的なのか?

お金持ちになることを夢見て、ギリギリの生活を必死にもがいて死んでいくことが人生の目的なのか?

幸せに生きるのか不幸に生きるのか?

それが人生の目的だと思っていたのですが、その考え方をしているうちは本当の人生の目的が見えてこないということに気が付きました。

 

人生の目的とは幸か不幸かの問題ではない!

 

人生の目的とは、幸せに生きるとか不幸に生きるとか、という問題ではなく、「生きる」ということが目的なのです。

つまり人生とは「幸と不幸」の問題ではなく「生と死」の問題であるということです。

「幸と不幸」を問題にしてしまうと、幸せな人は成功で不幸な人は失敗ということになってしまいます。

ですが、「生と死」を問題にすると、生きている人は成功で、死んでしまったら失敗ということになります。

つまり、この世に生きている人は全員「成功」していると言えるのです。

なぜ人生の目的が「生と死」なのかと言いますと、それは私達の本質が人間ではなく「魂」だからです。

そもそも「魂」は「死の世界」つまり「あの世」の存在なのですが、あの世での魂の修行はとても時間がかかるのです。

しかし、魂の修行を短時間で行うことが出来る専門学校があり、それがこの「地球」と言うワケです。

もともと、魂とはエネルギーでできていますので、自由自在に動き回れるのですが、この地球ではとにかく短時間で修行するために、魂は制約だらけになってしまいます。

それは魂は身体という肉体に閉じ込められてしまうことで、かなり不自由になります。

その不自由な状態でこの世界を生きることこそが、魂の修行になるのです。

ですから、どんな人生であろうと、この地球で生きると言うこと自体が魂にとったら素晴らしい修行になりますので、生きていること自体が成功だと私は考えているのです。

楽しいことがあったら、「人生は楽しくて最高だなあ」って思えばいいし、つらいことがあったら、「魂の修行ができて最高だなあ」って思えばなんだって幸せに思えるはずです。

 

本当の成功の境地に行くと次元が上がる

 

生きていること、そのことに感謝できるようになってきますと、自分の意識の次元が一つ上がります。

まるで遥か上空からこの世界を見ているような、冷静な自分がいるのです。

もちろんこの俗世界で必死に生きているプレイヤーの自分もいるのですが、このゲームを観客席から楽しんで見ている自分もいるのです。

すると、例えどんなに嫌なことがあっても、冷静になると「今回の修行はなかなか手ごわかったなあ」って思えるようになるのです。

この状態こそが、人生の成功という境地ではないかと私は思います。

その場所に行くまでには、相当の勉強と相当の経験が必要だと思いますが、それもまた魂の修行ですので、自分のペースで無理なく楽しんで修行に励めばいいのではないでしょうか?

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください