生きる意味が分からないと、どう生きていいのかも分からないかもしれません。
あなたはなぜこの世に生まれてきたか、その理由を知りたくはないですか?
誰もが「自分がなぜ生まれてきたのか」を考えたことがあると思います。
ですが、その理由を明確に説明できる人はほとんどいません。
実は私も、そのことについてずっと考えていました。
「なぜなんだろう?なぜなんだろう?
なぜ人は必ず死ぬのに、わざわざ生まれてくるんだろう?」
いつもいつもそのことを考えていました。
どうしても、生まれてきた理由が知りたかったのです。
そして、私はついにその答えを見つけることができたのです。
それをあなたにもお伝えしたいと思います。
人がこの世に生まれてくる理由とは?
人がこの世に生まれてくる理由とは、「たいくつな宇宙空間でエキサイティングな経験がしたい」からなのです。
あなたは考えたことがありますか?
全ての願いが叶ってしまう世界のことを。
もし、あなたの願いが全て叶ったら、あなたはどうなるでしょうか?
ありったけの富、ありったけの名声、ありったけの美貌、ありったけの寿命。
制限のない世界に生きるあなたは、望めば何でも叶ってしまいますが、あまりにも全てが簡単に叶ってしまうので、だんだんすべてに飽き飽きしていくと思うのです。
楽しいのは最初だけで、永遠と言う時間の中であとは永遠に退屈な世界にずっといなければならなくなるのです。
それはもう何億年とか何兆年とか、気が遠くなるような歳月を、ずっと退屈なまま過ごさなければならないのです。
それって、ある意味地獄だと思いませんか?
少なくとも、私はそんなたいくつな世界は耐えられません。
しかし、それがこの宇宙を作った創造主の悩みだったのです。
全ての願いが叶ったのはいいけど、そこには喜びも感動も無かった。
本当は、そんなことを望んでいたのではないかもしれない。
そこで、この宇宙を作った創造主は喜びや感動が経験できるエキサイティングな世界というものを望んで作りあげたのです。
そこでは、願いはなかなか叶わずに、苦悩や困難が待ち受けている世界でした。
その世界で、できるだけ沢山の経験をして、沢山の感動をしたかった創造主は、自らを小さく分割してこの世界に送り込む仕組みを作ったのです。
それが魂というものであり、これは分け御霊(みたま)と呼んでいます。
そして、この魂はこの制限だらけの世界で人間という物質的なマシーンに格納され、さまざまな経験をするために生まれてきたのです。
そしてその分け御霊の内の一つの魂があなただということです。
困難な人生にはどんな意味があるのか?
生まれた時から困難を背負って生まれてくる人には一体どんな意味があるのでしょうか?
それはもう先ほどの説明で答えが出ていると思います。
それは幸せということを知るために、あえてわざわざ困難な人生を設定しているのです。
生まれた時から死ぬ時までずっと最高にハッピーな人は、そもそもハッピーということを知らずして死んでいくということです。
暑い夏の午後、汗だくで喉がカラカラの時、冷たいジュースをゴクゴク飲むととても美味しく感じると思います。
ですが、生まれた時からずっとジュースを飲んでいたら、全く美味しいとは思わないと思います。
食べ放題のバイキングに行って、元を取るぞって意気込んで挑むのですが、最後はもう食べ物を見るのも嫌になってくるのと同じです。
お腹が減っているからこそ料理はおいしそうに思えるのであって、お腹がいっぱいの時は何も美味しそうには感じないと思います。
つまり、あなたがもし不幸な人生を生きているのだとしたら、それはあなたが幸せを感じたいからこそ、わざわざ不幸な人生を設定して生まれてきているのです。
もうどうしようもないくらい不幸のどん底の人生だとしたら、そのどん底の先には間違いなく最高のハッピーが待っているということです。
不幸な人は必ず幸せになれる!
宇宙とは、全ての事象を足し合わせるとゼロになる性質を持っているのです。
つまり全ての事象を足し合わせると「無」になるということであり、それは宇宙すら存在しないといことです。
この世界は相対差が生まれることで、初めて存在が生まれるのです。
標高100mのA点から標高100mのB点に水路を作っても水は流れません。
なぜなら標高差が0mだからです。
ところが、標高100mのA点から離れた標高50mのB点に水路を作ったら、水は勢いよく流れるのです。
総和がゼロの宇宙空間には、喜びも悲しみも何もないのです。
そんな退屈な世界に飽き飽きして、エキサイティングな経験ができる世界を作ってできたのが、この地球です。
ですから、この地球にはつらいことがある代わりに、楽しいこともあるのです。
むしろ、不幸のどん底であればあるほど、それに対比する幸福度は計り知れないということになります。
ですから、不幸のどん底だという人は、極度の幸福を経験したい人達なのです。
そうやって自ら仕向けてこの人生を生きているのが本当のところだったのです。
成功する人はみんな不幸から這い上がった!
本当に不幸のどん底で死にたいと思うような人だって中にはいいると思います。
その人の振り幅は相当なエネルギーが蓄積されていますので、理論的には誰よりも幸せになることができるということです。
それだけの潜在的エネルギーを蓄えながら自ら死を選んでしまうのがどれほどもったいないことかお分かりいただけるでしょうか?
昔の偉人伝や成功哲学を勉強すると、ある法則性が浮かび上がってきます。
それは、成功して幸せになった人ほど、不幸のどん底を経験しているということです。
不幸のどん底を経験して、つらい苦悩を経験してきたからこそ、幸福とはなんであるか、どんな気持ちなのかを感じることができるのです。
また、そのどん底時代にエネルギーを蓄積してきたからこそ、成功を収めるためのとてつもないエネルギーを爆発させることができたのです。
ようするに、この世界では不幸な人ほど成功できるということです。
不幸ではない人も成功できると思いますが、不幸な人が成功した時ほどの幸福感は得られないということです。
これはどっちが幸せなのかは分かりませんが、不幸な人はそういう特権を持っているといことは紛れもない事実なのです。
この世とはリアルなゲームだった
テレビゲームを極限にまでリアル化するとどうなるでしょうか?
ゲームの中の街やビルは生きていて日々変化し続けます。
その街で暮らす人達には自分で考える能力があったり仕事をしたりして日々精進していきます。
そのゲームの登場人物があなたの周りの人達でゲームの主人公があなたです。
この世とは極限にまでリアル化したゲームの世界なのです。
ですから、ピンチが多いほどハラハラドキドキしてゲームは楽しいのです。
不幸のどん底の人は、不幸のどん底の人生から這い上がり、成功を勝ち取るゲームをリアルにプレイしているのです。
ですから、そもそもこのゲームの本質は楽しむことにあるのです。
つらいことがあって苦しんでいる時も、そのゲームのワンシーンをプレイしているあっちの世界のあなたは楽しんでいるということです。
この世界で起こる全ての出来事は、このゲームを盛り上げるために周到に用意された演出なのです。
ですから、辛い時でも、そのつらさを感じながら、もう一方では楽しむことが大切なのです。
「なんてリアルなゲームなんだ。まさに現実そのものだぜ!」というふうに。
そんなのウソだということを証明してください。
人生に嫌気が差して、もういっそのこと終わらせてしまいたいと思っている人がいるかもしれません。
そう言う人は、私がご紹介した「この世はゲームである」というこの話を思い出して欲しいのです。
「そんなはずあるもんか!馬鹿げてる」と思う方は、この世がゲームではないということを証明する旅に出てほしいのです。
この世が現実に存在しているということすら証明することは困難だと思いますが、もし私の考えに異論を唱えるのであれば、あなたはあなたなりの真理を追究する必要があると思います。
人生がゲームだと分かったなら、存分そのゲームを楽しめばいいし、人生がゲームであるはずがないと思う人は、本当に人生がゲームではないのか、その真理を追究すればいいんだと思います。
あなたは偶然生まれてきたのではなく、考えられないほど緻密に計画して生まれてきているのです。
もちろんこの世で極限化したリアルなゲームを楽しむためにです。
それが、あなたがこの世に生まれた本当の理由だと私は思っています。
それではこの人生がゲームだということが分かったあなたは、ゲーム感覚で理想の人生を手に入れてください。
まとめ
私達人間は、生まれる前に5次元世界と言う天国にいました。
そして、この3次元世界で魂の修行をして、更なる次元の世界に帰るために、日々頑張っているのです。
人生って鬼畜ゲーですね(笑)
生きづらい世の中になりつつあると思う。これも自分で望んで来ているなら
仕方ないですね。
確かに、
生きづらい世の中になりつつあると思いますが、
500年前の戦国時代と今とどっちに生まれるか?
という選択肢があったら
果たして戦国時代を選ぶかは疑問です。
長い旅をしてきた私の魂は
この時代
かなり快適でマシな時代だと喜んでます(笑)。
はじめまして
すごく納得しました。ありがとうございます。
1つ聞きたい。
自分で選んで、カルマで自らが招いた現実ですが、
罪、苦しみから逃れることはできないということですよね。
何をすればどいうすればよいかはもうわかっています。
ですができません。
親を頼ることも、自分の苦しみを和らげたいと望むことも、願うことも、全て欲ですから、それをするのは間違いだから今の現実がある。
それは誰のせいでもないので、自分の責任は自分でとるしかない。
少しでも、心を楽に生きることを選べば
誰かに必ず迷惑をかけ、負担をかけ、傷つけたりすることになります。
そうなると生きていくすべはありません、
幸せになる権利などないんだと思います。
でも生きるためには苦痛に耐え抜くしかない。
何がよくて、何がだめなのかわからない。
甘えることも、頼ることも、弱音をはくことも、苦しいということも許されないなら
生きていくすべがない
自分で選んで、カルマで自らが招いた現実ですが、
罪、苦しみから逃れることはできないということですよね。
⇒ 私はそうは思っておりません。
逃れる術はあると思います。
そのために神様や仏様がいるのですから。
親を頼ることも、
自分の苦しみを和らげたいと望むことも、
願うことも、全て欲ですから、
それをするのは間違いだから今の現実がある。
⇒ 私は欲がいけないことだとは思っておりません。
欲を持たないという望みすら欲ですから。
欲を持たないというのは人間には不可能な芸当ですよ。
それは誰のせいでもないので
自分の責任は自分でとるしかない。
少しでも、心を楽に生きることを選べば
誰かに必ず迷惑をかけ、負担をかけ、
傷つけたりすることになります。
⇒ 誰にも迷惑かけずに生きることはできないし
負担だってかけますが、
それはお互いさまではないでしょうか?
傷付けるつもりがなくても傷付けることだって
あると思います。
そんなキレイに生きれる人なんていないですよ。
そうなると生きていくすべはありません、
幸せになる権利などないんだと思います。
⇒ それは思い込みではないでしょうか?
幸せになってはいけないとどなたが
おっしゃっているのでしょうか?
でも生きるためには苦痛に耐え抜くしかない。
何がよくて、何がだめなのかわからない。
甘えることも、頼ることも、弱音をはくことも、
苦しいということも許されないなら
生きていくすべがない。
⇒ それも思い込みではないでしょうか?
そんな話は聞いたことがありません。
もしあったとしても私は無視しますが(笑)。
そもそもカルマなんて分かりようがないですよね。
絶対に幸せになれない人生なんて死んだ後になって
みないと分からないんです。
今世はカルマの清算のために生まれてきたって
断言できる理由はあるのでしょうか?
自分で勝手に思い込んで勝手に苦しんでいると
いう可能性はゼロなのでしょうか?
例えカルマの清算であったとしても
苦しんで生きていては新たなカルマを生むだけですので
借金を増やしているようなものです。
生きることは苦痛ではありません。
むしろ快楽だと私は思っています。
なぜならこれは修行だからです。
つらい修行をどうやって楽しくやるのか?
それを考えるのが私達の仕事だと思います。
突然宇宙を作った「創造主」が登場しますが、その創造主が存在する根拠は何でしょうか。存在する証明は、出来ますでしょうか。
その証明がないままお話を進められても、正直筆者様の思い込みでしかないと思いました。
特攻隊の映画を見ました!
命と引き換えに散った特攻隊の現状をみると、今の世の中がどんだけ住みやすいかがわかりました。
ただそのなかでも不幸な人はたくさんいて、生きるのが耐えられない人もたくさんいます。
一人一人にただ希望があるのを願うしかないと思いますし、自分なりに何か一つでも日との役に立つアクションを起こせればと思います。
今の世の中は天国です。
北朝鮮が日本に核を落としたとき
それに気が付いても遅いと思います。
今にしっかり感謝して生きましょう!
仮にもし人生がゲームだというならそれを続けようが終わらせようが当人の自由であるべきだと思う。
ゲームにはルールがあります。
ルールのないゲームはありません。
そしてルールを決めるのはプレイヤーではありません。