
“ありのままの自分”という言葉がとても響きが良くて、それを鵜呑みにして安心してしまう人がいるのですが、ちょっとこの言葉の意味を一緒に考えてみませんか?
ありのままと言う言葉が陥れるワナ
“ありのままの自分でいいよ”って言われると、その瞬間もう頑張らなくてもいいんだって思ってしまって、ちょっと心が楽になるのですね。
心を楽にするのはとてもいいことだと思うのですが、それは家に帰って自分の部屋でくつろいでいる時ならいいと思うのです。
ですが、家から外に出たならば、やっぱり背筋を伸ばして気合を入れていかないといけないんじゃないかなって思うのです。

私は、家の外に出たらありのままの自分では物足りないと思っています。
例えば、大人の女性ならば、髪の毛ぼさぼさ、すっぴんのまま会社に行ったらどうでしょうか?
いくら本人がありのままの自分が一番と思っていても、ほぼ99%の人はその人を不快に思っているのです。
“お化粧は自分を偽っているようで嫌だ”っていう気持ちも分かるのですが、実はそういう次元の問題じゃないのです。
ダイヤモンドの原石って、ぜんぜん輝いていないのです。
ありのままの君がいいって言って、ダイヤモンドの原石のままだと、ほとんど価値ないのですね。

婚約指輪がダイヤモンドの原石のままの指輪だったら、もらってうれしい人はいませんよね。
質屋に持っていってもお金にならないと思うのです。
ダイヤモンドは原石のままではだめで、磨いて磨いて磨きまくると、誰もがうっとりしちゃうほどの永遠の輝きになるのです。
ありのままではなく背伸びをした自分で生きる!
人も同じなのです。
ありのままの自分っていうのは、パッとしないし、面白くもなんともないのです。
ですから、自分の家に帰ったらありのままの自分になって、くつろぐのはいいのです。
ですが、外にいる時は、自分を磨いて磨いて磨きまくって、ダイヤモンドのように輝いていないと、誰からも相手にされなくなっちゃうのです。
ありのままどころか、無理して背伸びしているくらいでちょうどいいかもしれません。

いくら性格が良くたって、外見が適当だったらちょっと引きますよね。
いい性格で外見も素敵な人と、いい性格で外見は最悪な人と、どっちと友達になりたいですか?
性格がいいからって、外見を適当にしていいという理由にはならないのです。
それって、単にサボっているか、怠けているだけなのです。
自分を良く見せるのは、偽りでも誤魔化しでもなく、思いやりであり、おもてなしなのです。
最高の自分こそ最高のおもてなし!
数年前、オバマ大統領が来日したとき、国賓として迎えましたよね?
安倍総理がありのままの私ですって言って、変な恰好していたらオバマ大統領に失礼ですよね。
相手を尊重するということは、最高の自分で接することなのです。
それを偽りとか誤魔化しとか言ってしまうのは、論点がぜんぜんズレているのです。
そういうことにこだわらないという人がいたとしても、相手の人はそういうことにこだわる人が多いということを知っておいたほうがいいと思うのです。

就職活動の面接で身だしなみに気を使うのはなぜかって話なのですね。
いかに自分を素敵に見せるか、これは人として、とても重要な課題なのです!
素敵な人たちで街が溢れたら、この国はとても素敵な国になると思いませんか?
てなわけで、明日は今日よりもさらにお洒落して出かけてみませんか?
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